インターネット老人おぢさん

2021/01/14

最終更新:2021年01月16日 04時58分09秒(初公開:2021年01月14日 17時41分11秒

2021/01/14

突然だが、今日は残り30分もない。
この日記を書き上げる頃には日が変わっているだろう。
今日はいつも出してくれるおにぎり2個と、鶏肉と根菜の吸い物を食べた。

私が家族に厳しく当たるようにしてから、目に見えて変化が出てきた。
まず、妻はすぐに周りの影響を受ける性質だった。
もう当たり前のように知っている事だが、私が甘やかせば甘い対応をし、厳しく接すれば自らを律する事ができる人なのだ。
きっと私達の子にもそう接するだろう。これは良いようで良くない。
良く言えば環境適応力が高く、どんな状態でも最善を見つけて対処できる賢さと言える。
悪く言えば事なかれ主義というか、自分を持っていない状況に甘んじている。
仕事で言えば処世術だが、育児に於いては舐められる親の典型だ。私が子供なら御しやすい親だと考えて軽視するに違いない。
子供が育つにつれ、私は家族に恐れられてでも畏怖の対象であらねばならなくなる。

だが、それでも我が子は可愛いのだ。
まだ三ヶ月の子供だが、最近は特によく喋る。我が家で一番元気なのは子供に違いない。
思わず世話をしようかと考えてしまうが、先日に続き厳しく接することで変化を生むべき時だと考え直す。
体力的にはつらいが、気力が元気なうちは動けるだろう。
いつかいきなり倒れるであろうその時を迎えないように調節する必要はある。
思うに、私の事は私より妻の方が詳しいだろう。

気付いたら日が変わっていた。だが今日は今日だ。
そろそろ仕掛けを動かさなければならないが、目論見通り目に見えて変化が生まれた。
自主的に学びの時間を作ったり、私が厳しいからか子供に癒やされている妻を見る時間が増えた。
予てより議論していた「私に何かがあったら自分でどうにかしよう」というモチベーションではないのが甚だ遺憾だが「私と何かがあったら自分でどうにかしよう」とするのも得られる結果は同じである。
多少の事には目を瞑って動勢を見守りたい。

そうそう、今まであまり意識しなかったが無言語コミュニケーションだろうか、「見守る」という事に考える機会が出来た。
いや、意図して作ったわけではないのだが声を掛けない心配をする事を察し、おそらく察されている気がしている。
引き出しの奥から手紙を引っ張り出すときに一冊のクロッキーを山から零してしまったのだが、私が絵を描く練習に使おうとして結局寝かせてしまった後のページから、気を紛らわそうとして描いたであろう似顔絵を見つけてしまった。
見ようと思ってみたのではないが、見えてしまった事は心の内で一人詫びつつ、

今日だけで4日分、手記として書き上げたわけだが、どうやらライターとしての勘も腐っていないかもしれない。
手記は売りやニュースと違って論理的・体系的にする必要がないから推敲を全くしないのだが、短い時間に文字数だけは相当量出てきているのでアウトプットの質を気にしないなら原稿を一気に埋められそうだ。
手記なので一人語り口調で書いているが、他の記事(これは日記)を見ればコミュニケーション、話し掛けるような表現を意図的に盛り込むようにしている。
普段読み流しの文字たちだが、この手記を読んだ後にななめ読みしてもらえれば書き手の工夫…ではないが思いのようなものを少しでも感じてもらえるかもしれない。
ただし、この手記に限って言えば貴方の意図は知ったことではない、私の独り言を勝手に聞いているというつもりで書いているわけだから、この作風が逆に気に入る人もいるかも知れない。
(私が読み手として、この手の文体は読んでいて疲れにくいというか、文章を書いている筆者からの視線のような何かを気にしにくいという良さを感じる)

ああいかん、研究家の顔と物書きの欲が現れてしまっていけない。
かつて「好きな教科は国語(現代文)で得意な科目は数学」と言っていた変人が私だと言うことを思い出してしまった。
学生の頃から創作活動はしていたし、ゲームのためのアルゴリズムだって考えた。
ゲームシナリオとゲームデザイン、という表現をするとなんのことはないが、勉強科目として近いものを宛てがってみろ、と言われたら文系と理系が混ざって困惑するだろう。

もし若い人がこの手記をのんびりと読む事があれば知っておいてほしい、厳しい現実を一つ語ろう。
今の時代ですらゲームプログラマーとゲームプランナーとシナリオライターは兼務される事が多い。
つまり、マンガも描けてシナリオも書けてプログラミングも出来ないとゲームの世界に飛び込むのは苦しい。
業界内で人脈が出来てきたら、きっとサウンドエフェクトを作ったり、なんならゲームで使う素材を自分で作り始めたりする。
手始めにドット絵は絶対的に足りないからピコピコ打ち出したりするし、効果音がしっくり来なければ撮影環境を整えだす。
画像素材がほしければカメラに拘るし、キャラクターに魂を吹き込みたくなれば唐突に女声の練習を始めたりもする。
結局の所、ゲームという表現できる分野が広すぎる何かを、全部自分で満たしてやろうとするのだ。
今、ゲーム開発の現場で第一線級で頑張っている(もはや彼らには私と同じく「働いている」という感覚はないだろう)強者たちは、実は一人でやろうとすれば出来てしまう人ばかりだ、という事を忘れてはならない。
さながら、テレビに出演するタレント 兼 芸人 兼 俳優 兼 監督 兼 ニュースキャスター(アナウンサー) 兼 ディレクターのようなマルチタレントか。
このように複業をできる人がこれからのコロナ禍を強く生きられる人だろう。

仕事は一つだけしかしてはいけない、などというルールも法律もない。
もし就職を考えるなら、一度に2つの会社で同時に働く、うち一つは自営業で獲得した個人事業主としての案件といえるぐらいが良いだろう。

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