インターネット老人おぢさん

「さん」「君」の呼称について

最終更新:2021年03月11日 16時06分17秒(初公開:2021年03月11日 15時58分36秒

「さん」「君」の呼称について

本当はこんな事を書く必要はないと思いますが、これからの令和世代と私のような古い昭和世代のオッサンの考え方が異なる(と思った)ため、明言しておこうと思います。

公の場で「君」呼びをしない

当たり前ですが、人の目がある場所では弁えるようにしています。
ただし、お酒の場ですとかで「君」呼びをしている場面を聞く事が多々あるかもしれません。
これは、私の考え方として「さん」より「君」の方が(感覚として友人に)近いという認識によるもので、いわゆる「年下だから」とか「格下だから」という意図は全くありません。
「さん」呼びの方が遠い存在であるという「暗黙的な主張」です。

年上だろうが先輩(私は本業がフリーランスなので、先輩という概念はないのですが)だろうが近い人は「君」になります。
もちろん、相手があっての私ですから、「この人は馴れ合いはダメなタイプだな」と思ったら距離が近くても「君」呼称は控えるようにしています。
逆に言えば、懐に入っていくタイプ(そして、本人に自覚がある)場合は容赦なく君だとか、初手からタメ口をぶっこんでいきます。
私の読み誤りで相手に不快感を与えているな、と感じたらお詫びして戻しています。

フリーランスに上も下もない

です。
私の考え方として、「スキルの有無」や「仕事ができるかどうか」で人を評価するつもりは全くありません。
(※会社員として勤務している場合は例外です。)
むしろ、その人たちそれぞれの個性や強みを発揮できない環境になってしまっているんだな、と反省します。可能であれば改善や親睦を検討します。

私のせいで居心地が悪くなっている人がいるなら大変申し訳無い限りなんですが(そして、決して少なくない数の日本人が私の考え方や傾向に反発するでしょう)、全ての人が私と合うとは思っていませんので、そこはうまく大人の対応を意識します。
日本のITエンジニアは、日本人の中でもコミュニケーション能力が高い方が多いので人間関係のトラブルをなるべく回避したり解消しようとする傾向を感じています。

他業種だとこうは行かないです。
自身にとって不利益が発生した場合、徹底的に権利や権益を主張する傾向があるように思うので、長年プログラマーをやっている人が接客業をやったら(あまりにも強烈なクレームに)かなり驚くはずです。
特に営業職の方はクレーム処理やクレーム対応に慣れていますし、普段から怒鳴られて歯を食いしばって頑張っている方が多いので、必然的にプログラマーより強弁になります。
(詳しくは、エンジニアVS営業あたりで検索してみてください)

余談

営業経験のあるプログラマー(執筆時点では兼業講師)が思うこと

フリーランスには営業経験も必要です。
準委任契約という仕組みのおかげで営業、というか契約書が比較的ゆるい内容になり、営業経験がなくても比較的何とかなるような世の中になっていて、正直(昔と比べて)だいぶ働きやすさを感じています。
その結果、営業を知らないプログラマーが独立して苦しむ姿を見る機会も増えました。
結局のところ、プログラマーも営業も相手の立場に立って考える、というより想像力を働かせていない事が多いのです。

フリーランスになって分かったこと

フリーランスで活動すればスケジュール管理や書類作業だけでも大変なので、なんとかシステム化してやろうという気になります。
本気になったらスケジュール管理アプリやシステムを作り始めることでしょう。

このように、営業の仕事が楽になるように社内でシステムを整備してあげる余裕を営業が持たせてあげれば、お互いにWin-Winにならないでしょうか?
ぜひご検討ください。

私にとって「君」呼称は親しみであり、上下関係はない

改めまして、「さん」「君」呼称を見つめ直しました。
オープンパブリックには「さん」で統一しています(心がけています)が、クローズドな場ではガンガン「君」で詰めています。
仕事は個人で請けますが、業務はチームでやるものです。チームの結束を高める意味でも、なるべく仕事の話より雑談が多いエンジニアチームをビルドしたいという、私のプロジェクトビルディング感、プロジェクトマネージャーとしての方針によるものです。

野望

私が作るチームの組織は「サーヴァント型」リーダーシップを発揮する存在でありたいのです。
なので私個人としても主体性のある方を高く評価しており、内容がどうであれ目標に向かう姿勢を応援します。
逆に言うと、やりたい事が分からない人にとって私のリーダーシップは非常に過酷なものになります。
私が考えて決めるのではなく、自分が何をやりたいのかを徹底的に掘り下げるところから始まるため、人間的にキツいと思われても仕方ないなぁ、と思います。

手前味噌ですが、妻がこのタイプです。
ある程度は相談しながら、その中で自分でやりたい事を決めて頑張っています。

公開できる実績(ノロケじゃないよ)

さすがに企業人事の話に直結しかねないので、公開できそうな実績が我が家の例ぐらいしか思いつきませんでした。
少々恥ずかしいのですが、よろしくお付き合いください。

(執筆時点)まだ幼い子供がいるのですが、父親(私)の方針で可哀相なぐらい人生設計をやらされる事だろうな、と漫然と考えています。
(10年後の息子、そして娘へ。未来の父がどうせ厳しくなるだろう、スマンかった)

先述した通り、既に妻は私の洗礼を受けており「人生は一緒に歩んでいくけど、自分らしさを大切にする」事を心がけています。
(執筆時点)出会って4年で籍を入れてまだ一年も経っていませんが、自身の未来が(私と籍を入れたことで)分からなくなったのを、一緒に再設計しています。
実績はありませんが志はしっかりしているので、立てた目標について後1つ2つの実績を持てば一人でもできるようになると思います。
将来的に私の手を離れるんじゃないかな、なんて思ってます。
そうなってくれたら、子供が父親だけの人生観に左右されにくくなって自立心が高まるかな、なんて願ってます。
私の見立てですが、令和時代は昭和・平成時代に想像がつかなかったぐらいに生活は便利になった反面、システムや制度による「自己責任」の重みや負担が高まり生きにくくなるだろうと思っています。

父親として、平成より厳しい令和の時代、また令和の次の時代でも人を支えられるぐらいに強い子になってもらう事を願って、子供には責任を持つ強い教育を施します。

社会人講師として

我が子ほどガツガツに厳しい対応をするつもりは当然ありません。
皆さんには皆さんの人生があって、色々と大事なもの、些細なものと選択や決断をされてきて、今の皆さんがあると考えているからです。

とはいえ、私が勝手に期待をさせてもらっている後進には私の技術や知識を、それこそ出し惜しみなく全てをぶつけます。
これは現役で教えているプログラミングスクール生の何人かが体感で思い知らされている事ですが、契約の都合上私が彼らに教えられる期間は短くて3ヶ月、あるいは半年とか1年です。
それも、つきっきりという訳ではないので実質長くて一ヶ月ともうちょっとぐらいです。
妻や子供は徹底的に掘り下げられますが、私が彼らにしてあげられることは僅かな期間しかありません。

せめて、思いや意見を効果的に伝わるように、少しでも彼らの中に残したいので心理的な距離を狭める施策は何かやりたいと思っています。

© 2020-2021のむらやごろう(@elder_uncle)

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