インターネット老人おぢさん

のむらやの活動変遷

最終更新:2021年01月16日 04時22分67秒(初公開:2021年01月11日 01時46分79秒

のむらやの活動変遷

前回の記事でマジかよ、と思うぐらい書きまくって満足しています、のむらやです。
ここに書くのは趣味以外の話に限定します。
私に趣味カテゴリの話をやらせるのはマズい、終わらない(笑)

仕事用の活動経歴の話はここではやらないです。

少年期

20代前半までを奈良ー大阪間を行ったり来たりして過ごしていました。
幼稚園時代の前からゲーム漬けで、パソコンが入った小学生時代にはマインスイーパーやソリティア・フリーセルなんかをやり込みつつ、一番ハマったのはハーツ。
ルールも分からないのにずっとやってました。当時は自分以外のプレイヤーと遊べるというのが新鮮で、COM(今はAIと呼ばれるんですかね?)相手にできるというのが新鮮だったんですね。
将棋も麻雀もルールが分からないながら他のプレイヤーの動きがある、というのが楽しかったのかもしれません。

ファミコン→スーパーファミコン→ニンテンドー64と、順調に任天堂教に染まっていました(家にセガハードがなかったため)が、初代PSが入ってからは一気にPSシリーズに塗り替えられました。
父以外は全員がゲーム漬けだったのでテレビの使用率がすごいですよ。今でこそHDMIケーブルだからPCモニターが使えるね、と言うんですが当時はそんな端子はないので、テレビにつなげて遊ぶものでした。

Youtube: ゲーム機戦争(見れない方向け)


学生時代

偏差値で言うと平均のちょっと下をウロウロしているぐらいにはおツムがアレだったんですが、当時はコンピューターを使えるというのはそれだけでスキルだったので、最先端を征く人みたいな扱いをされていました。
後にポケベルが携帯電話(ガラケー)になったぐらいで、どこの学校も携帯端末の所持持ち込みを禁止していたため隠れてこっそり使う、みたいな事をやっていた時代です。
今ではこの程度では評価してもらえない上、同じように周りから「おぉっ!」と驚いてもらうには大人顔負けの相当なスキルを求められるため、非常に難度が高いです。

この時はネット社会だとFlash黄金時代真っ只中です。
ブログもない時代で動画が大流行したのがこの頃でした。

Youtube: フラッシュ黄金時代(見れない方向け)


ここからネットの世界にどっぷりと浸かっていく事になります。
当時はPRGツクール2000とかですよ。私がゲームプログラマー・デザイナーとして初デビューしたのはここからです。
残念ながらプロではないですが、人様からお金をいただく作品を生み出していったのは間違いなくPRGツクールがあったからこそです。

社会人として

私の頃は学生起業というものは「お金を持っている優秀な大学生の一部がやるもの」というイメージでした。
そもそも起業という選択肢を知らない人も多く、会社に勤めて頑張るのが一般的でした。
就職活動が活発化した高校や大学でも「会社に入ったら最低三年は辞めるな」なんて言われていましたが、この頃から早期退職がちらほら目立っていた印象です。
私も早期退職組で、新卒カードを即刻捨てた理由が、

  • 最低賃金割れ
  • 残業代未払い
  • 労基法を無視した高稼働で嫌気が差したからです。

まだマクドナルドのアルバイトをしていた方が稼げました。
さすがに何もなしで辞める事はしませんでしたが、「会社に入っても就職活動は終わらないんだ」と理解しました。
正社員という働き方に意味を感じなくなりました。

個人事業主になるまで

ここから、正社員以外の働き方を模索します。まだ二社目で、社会人経験0年目の事です。
この時の経験は今も生きており、後に複業が当たり前になる時代(今のコロナ禍なんてまさに複業時代ですね)を抵抗なく生きる事ができています。

紆余曲折を経て「会社に長く勤めるのは技術レベルも給料も上がりにくくて損だ」という意識が芽生え、短期プロジェクトを並行でこなすスキルを育てました。
他の方がどのような仕事の仕方をしているか分かりませんが、私の仕事は「高効率・短稼働」がウリになっていきます。
1人月分を一週間で納品するイメージです。もちろん、費用は1人月分で請求しますし、1人月分稼働していた事にするため、稼働調整は行います。

この働き方を続けて思ったのは「派遣社員も向いていない」という事です。
仕事を素早く出来る人は評価されますが、派遣という特性上給料は上がりません。
会社に中抜きされていた事を知ったのは、現場リーダーから「いつも頑張ってるから給料上げておいたよ」と言われた事に依ります。
時間をお金に変える仕事なので、成果物があろうがなかろうが給料は変わらないのです。

個人事業主として

個人事業主は自分で営業活動をして、自分で納品して、自分で請求する必要があります。
特に請求は大事で、これを怠ると報酬の支払いを拒否された時にどうにもならない事になります。
実際、報酬を踏み倒されかけた事は一度や二度ではありません。

ITプログラマー系は幸い、エージェントを介して営業・請求を委託同然に扱う事ができます。
本来なら営業費を掛けたり、弁護士を雇ったりするんですがこの辺りを代行してもらう事ができるのです。
また、昨今は税理士の相談も無料でできるところもあり、プログラマーのフリーランスは非常にやりやすくなりました。
ましてやコロナ禍で一つの仕事だけをするのがリスクになる時代です。
ここまで環境が整っていれば会社員なんてやる必要はないなと思いました。

2021年の方針

ここはリア充アピールのコーナーみたいでいけ好かないなぁ、と思うんですが今後の方針にモロに影響しますので、予め報告しておきます。
人から見ればただの自営業なので安定しない職業としか受け取られないのですが、2つ以上の仕事と、仕事以外で稼ぐ力をつけてきたので公務員ではないですが安心感を提供できるようになったかなと思っています。
会社や環境に依存せず、技術と人脈で食べているので敢えて少子高齢化時代に結婚・育児という選択をする事ができたのかな、と思います。

ただし、2021年現在からどんどん子育て世帯に対しても締め上げがキツくなってきたので、社会福祉制度がしっかりしている国に拠点を移して、子供が大きくなったらまた日本に戻るか、また違う国で老後を見据えていくか考えたいところです。
そういった観点から、2021年から情報技術・プログラミング・自己啓発以外の分野もどんどん発信を強化していこうと思いました。

なので、サイトのタイトルも「インターネット老人のおじさんがネット社会を生きる」という点にフォーカスしたいと願って名付けたものです。
SNSも使ってない(名前は聞いたことがある)人が情報発信している、という事に勇気づけられるサラリーマン男性(LGBTQに配慮して、昭和時代に社会的には男性の振る舞いを求められた層と定義します)が一人でも多くいれば嬉しいです。

© 2020-2021のむらやごろう(@elder_uncle)

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